犬と暮らすということ
一緒に暮らす犬が2匹に増えて生活はめまぐるしかった。
単純計算でおしっこもうんちの処理も2倍になる。わたしも人間なので毎日トイレに行く。
1日に何度トイレに行けばいいんだろう。
ヨーキーだけの時は十分だった散歩や遊びも、シピンもいるとそうはいかない。
運動量も2倍だ。
ご飯も2倍、片付けも2倍。
毛の量は2倍以上、わたしはアレルギーを発症した。
ヨーキーとは眠る時も起きる時も同じタイミングだったが、シピンは寝ずとも元気だ。
わたしはとても疲れていた。
うちに来て2ヶ月のシピンには手を焼く。
毎日毎日「だめ」を繰り返す。
こんなにだめだめ言ってて窮屈ではないだろうか。
犬を飼っている友人に話すと「言い続けないと分からないから」と言われた。
「あ、そうじゃん、犬ってそうだった」と、少し楽になった。
その友人から勧められた動物性愛に関する本を読んだ。
理解できなくて混乱する部分もあったが、自分自身の犬との向き合い方を再考させられる部分も非常に多かった。
犬たちが暮らしているのは人間社会。
彼らがこの社会で生きやすいように、最低限のしつけは必要。
のびのびと好きにさせたい気持ちもあるが、全くの野放しでは共に生きていくことは不可能なのだ。
わたしは今日も何回も「だめ」と言う。
その何倍も「かわいいね」「いいこだね」と言う。
前みたいな後味の悪さや心配はなくなった。
そして最近は、これまでよりもシピンとの繋がりを意識できるようになった。
安心を感じられることも増えた。
わたしがシピンに対して安心感を持てるようになったことで、シピンの気持ちにも良い影響があるといい。
この安心感は信頼に近い気がする。
わたしはヨーキーを信頼している。
色んな場面においてヨーキーなら大丈夫だと思える。
シピンはまだ大丈夫じゃないところもあって、安心しきれないけど、たくさんの時間を一緒に積み重ねていけば大丈夫になると信じている。
わたしの体調が完全に回復して、一緒に遊ぶ時間が増えると、ふたりが生き生きと幸せそうにする機会も増えた。
思いっきり走る時、ニコニコ顔で目が合う時。この時間を大切に、できるだけ多く手元に置こう、と思って胸が熱くなる。
遊び終わってバテバテのヨーキーも、元気が有り余ってるシピンも、それぞれに安心や幸せを感じられていたらいいな。