本当はみんなで美味しい蕪とか食べたい
上から目線で人の悪口を書き連ねる文章を読んで嫌な気持ちになった。
そういう人たちって、認めないだろうけど完全にマンスプだ。
わたしはとても不快だったので、ひとりで画面に向かって文句を言っていた。
するとパートナーが「そんなもの見ない方がいい」と言った。
わたしにとってストレスになるかららしい。
この人はどこまでもわたしにやさしい。
やさしいし間違ってないけど、そうじゃない気もする。
不快な文章は特定の人や弱い立場の人に向けられている。
画面の向こうの知らない場所で、その人はネットの言葉以上に傷つけられていないだろうか。
読みたくない文章を読むストレスは確かにある。
怒りも湧いてくるし、分かり合えないであろう人が地球上にこんなにいるのか、と悲観的になってしまう。
同時に、知らない時の自分は何て冷たかったんだろう、とも思う。
知らなすぎて、自分の見えているところだけで考えて、安易に言葉を発していた。
どこかの誰かにとって、わたしの言葉は冷酷だったはずだ。
今でもわたしは不完全で不十分で、自分の考えや言葉に後悔して嫌気がさすこともある。
自分や、自分の大切な人だけしか見えない世界はもう終わりにしたい。
ストレスもあるけれど、気持ちに正直に怒ったり悲しんだりして、そうなる理由を自分だけの言葉で表現できれば、そんなに辛くない。
だから知るための行動を、休みながら続けたいと思う。
これからもわたしはわたしの文章を好きなままでいたいので、ちゃんと考えて言葉を選んで、丁寧に書いていく。
パートナーのやさしさも真っ直ぐ受け取りたい。
傷つけられている人には、一緒にやさしくなりたい。
ここから始まるんだよ。