前も後ろも見たくない

わたしは今日も考えている。

枯れてしまった観葉植物のことや、映画館で観たい映画のことや、オリンピックについて。

おめでたい話題には心からの祝福をして、考えるべきことを考えていこう。

 

「オリンピックは中止すべきだ」というのは簡単だ。

しかし実際に中止することはとても難しいことのようだ。

世界平和を謳う力強く華やかな祭典。実情は莫大な利益で成り立っていて、もはや極端に資本化されてしまっているのだろう。

もう絶対に後には戻れない、退っ引きならない状態の人たちが実際にいる。そしてそれらの人たちが権力や金を持っていることもまた事実だろう。

 

アスリートファースト、安全安心のオリンピック。

それらがどれも波紋を呼ぶのは当然と言える。

 

多くの感染者や死人が出ている大阪では、ワクチンの大規模摂取センターとして抑えられた大阪府立国際会議場での、8月末までの全てのコンサートや学会の予定が、一方的に取り消された。補償の有無や、誰が補償するのかも明らかにされない状態で。

 

わたしたち国民は弱者だ。1年前よりも遥かに増えている感染者を前に、為す術は限定され、そしてそれは同時に苦痛を伴う。感染せずとも生活は苦しい。 

今や感染者だろうと、そう簡単に入院できるわけではない。

自宅療養を余儀なくされ、重症化した時には受け入れ可能な病院もなく、持病がない若者でさえも命を落とすことがある。

身近に感じられなかった全てのことが、足音を立ててすぐそこまでやってきている。

見て見ぬ振りなど、決してできない。

 

こんな状況だからこそ、開催されることに、純粋に楽しみや希望を感じる人もいる。もちろん、それらの思いが批判されるべきものではないことは明らかだ。

しかし、完全に無観客にしたところで、数万人単位の大会関係者が日本にやってくる。ワクチン接種が進んでいたとしても、未知の変異株がやってこないとは誰も断言できない。不安はどうしたって拭いきれないのだ。

そして「完全無観客にする」という苦し紛れの策を打ち立てておいてなお、「小中高生を中心にスポーツの素晴らしさを体感してもらうため…」などとして、競技会場へ子どもたちを招待することを検討しているらしい。何のための無観客措置なのだ。

馬鹿も休み休み言ってほしい。突っ込むのにも体力がいるのだ。

 

わたしの友人には医療・介護に従事している人たちがいる。

感染者の増加によって、コロナ病棟へ配属となった人や、そのしわ寄せで業務が増え続け何時間もの残業を強いられる人。面会ができないことや、診察を制限されることでの、家族や患者からの謂れ無いクレーム。

毎日必死で生きていても、日々に忙殺され、疲れ果てた体と心に追い打ちをかけるように楽しみは制限される。人の命を預かる責任という重荷が、その制限を更に強いものとする。

この状況でもなお、国はオリンピックのために医療従事者と病床の確保を要求する。

彼らの苦しみはいつ軽くなるのだ。誰が解放してくれるというのだ。励ましや労いではどうにもならない。

 

ここでオリンピックを中止にすれば、そこにつぎ込まれるはずの医療や金は、このコロナ感染を抑え込むひとつの力となるはずだ。

朗報と言っても良いのか、先日、開催中止による違約金の取り決めがないことが明らかになった。開催国として出来ることはあるはずだ。

しかし実際に開催を中止する権限を持つIOCは、なんとしても開催しようと断固として表情を変えない。果たして開催の可否について議論することができるだろうか。難しいだろう。

 

これはもう完全に悲報だが、バッハとかいう偉いおじさんは、日本国民に向けて

「安全安心な大会を可能にするのは、日本の皆さんのユニークな粘り強さの精神と逆境を耐え抜く能力」

とか言っているらしい。あんたがユニークすぎるぜ。

人の話聞いてたか?国民の多くは中止望んでんねん。誰が開催のためになけなしの精神と能力を捧げるかよ。

 

こんなどうしようもない状況、絶望感で物を言うのもアホらしくなる。

8割を超える国民の声すら、まるで聞こえていないかのような態度だ。

 

わたしたちがどんなに議論を繰り返し、道を切り開く覚悟を持とうとも、それらは全て無かったことのようにされてしまうかもしれない。

自分はコロナ渦の生活でもそんなに苦しくないし大丈夫、という人も多いかもしれない。

それでも、今苦しんでいる人や、これから困難が降りかかるかもしれない人を見過ごしてはいけない。

そしてそういう人たちのそばに、あえて立ち続ける人も必要だ。

 

わたしたちは考え続けなくてはならない。それは時として強さにもなるし、誰かにとってのやさしさにもなるのだ。

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ここはやさしさだけ