「竜とそばかすの姫」脚本に対するモヤモヤ

この映画を「中村佳穂とmillenniumparadeの壮大なMV」と言わずにはいられない。

曲数としては物足りないが、そこに全面的な価値を見出さずにはこの作品を評価できないのだ。

 

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湿度の高いエモーショナルな音楽で幕が開け、文字通り”鼓動の高鳴り”を意識する。そのテンポ感に乗せられた独特なメロディ。

一瞬にしてUの世界へ引き込まれ、現実世界から足が離れた感覚に鳥肌が立った。

全ての劇中歌が存在感を放っており、中村佳穂の確かな技術で圧倒させながらも、観客と対一で向き合って語りかけるような共感性の高い歌声に感動した。

歌詞全体の意味を丁寧に込めつつも、一つ一つの言葉にはエッジを効かせる。その寛大さと際立つ個性によって、彼女が他の誰とも肩を並べないシンガーであることを確信した。

 

恐らく誰もが、これらの音楽に胸を打たれたはずだ。

しかしストーリーに関しては甚だ納得できるものではなかった。

どう解釈しても完全には噛み砕けないし、今後の細田守脚本作品にも多くの疑念を残す形となった。

 

 

時をかける少女」以降の過去作において、消化しきれない複雑な感情を抱くことがあった。

例えば「おおかみこどもの雨と雪

わたしは犬やオオカミが大好きなので、毛のあるもふもふした生き物が出ているだけで幸せな気持ちになる。

雨がおおかみ、雪が人間として生きていくことを決める過程で、わたし自身母の思いに共感し、非常に苦しいながらも、子が巣立っていく喜びも確かに感じていたのだ。

しかし約10年前、16歳のわたしは、主人公の花が背負う苦労にフォーカスできていなかった。それに気付いたのは最近である。

花は妊娠して大学を中退、突然夫が亡くなり(しかも結構無残なシーンが印象的)、シングルマザーとして子供2人を育てていく。家族や頼る人もおらず、人間とオオカミの血を持つ子供ゆえに、公的なサポートや医療機関の受診さえも憚られる。

結局子供二人は母親の元を離れて暮らすわけだが、この時点での花はおそらく30代前半。

なぜここまで若い女性に過酷な運命を背負わせたのか。

 

 

今回「竜とそばかすの姫」は、前半こそストーリーの軸が明確で良かったものの、後半にかけて、どうにも処理できない雑さが明確になっていた。音楽の素晴らしさで感動物語として無理矢理引っ張った感がある。

これは意図的なのか。もし意図的であるならば、脚本は他の人に任せた方が良いのでは?とすら思ってしまう。

時をかける少女」「サマーウォーズ」は本当に素敵な作品だった。

 

 

今回の主人公は、幼い頃に母親を亡くしたすず。

すずの母親に関する描写は、強さと優しさを持つ素敵な女性であることがよく伝わってきた。

細田守は、人物描写が本当に上手いと思う。

「過去に負った傷によって失った声を取り戻す」という軸をブラさずに、そこに至るまでのすずの気持ちの変化や、周囲との関係性などの機微をもっと丁寧に描くべきだった。

 

前後の繋がりもよく分からないまま「美女と野獣」のオマージュ部分や、幼馴染を取り巻く同級生たちの思春期ならではの場面を見せられたりして、話の主軸が宙ぶらりん状態のまま展開していってしまう。

 

 

すずが竜に惹かれた理由の描写も雑すぎるように思う。

「同じように心に傷を負っていて、本当の自分を隠しているから」というようなことだとは思うが、作品にとって大切な部分なのでもっと丁寧に描くべきではないだろうか。

 

ベルのコンサートに突然現れた竜が一人で戦っている場面を見ただけで、竜の痛みや孤独などを感じ取って、深いところで繋がりを感じたのなら、それはすずが本当に素晴らしい感受性を持った良い人間なのだな、という感想だ。

人の痛みに共感できる繊細さや優しさを持っていることは伝わる。

しかし、そこから単身で竜の城に突撃し、美女と野獣のあのダンスシーンは流石に無理がある。

美女と野獣」のベルだってあのダンスに至るまでには、食事を共にしたり、鳥たちと戯れるなどして、徐々に互いの理解を深めたのだ。(美女と野獣大好き)

お互いの間に強い絆が生まれるとき、時としてかける時間は重要ではないが、だとしてもあまりにも、というのがわたしの考えだ。

 

 

そしてクライマックスの歌の良さから落差のありすぎる結末。

 

竜の正体に気付いたすずが、自分の本当の姿で歌声を届ける。

感動した、泣いた。

しかしこの涙の構成要素の大部分は、中村佳穂の歌声と楽曲の良さだろう。

しかも本当の姿で歌うことを決意するのを、幼馴染のしのぶが後押しするか?と。

それを友人のヒロちゃんが「この子には無理だよ」というくだり…。

 

分かるよ、すずが本当の姿で歌えたの本当によかったよ、嬉しい。

じゃあなぜ、拒絶反応が出るほど出来なかったことが、出来るようになったのか。50億人に素顔を晒すまでの偉大な勇気を持てたのか。これは絶対に幼馴染の一言じゃないはずだ。

すずはこれに関して、竜に「あなたが臆病だった心を解き放ってくれた」みたいなことを言ってたけど、そこに至るまでのインパクトある場面が足りなくないか?

中盤に丁寧に描かなかったツケを、クライマックスのあのシーンだけで綺麗に清算できるわけがない。

 

 

そしてここからは、わたしが本当に嫌な気持ちになった部分だ。

虐待というかなりナイーブな問題を扱っているのに、こんなにも誠実さが欠けて良いのだろうか。

然るべき機関に連絡したものの、そこで対応させちゃったらさらっとしすぎだし、主人公が悪と正面から対峙する強さみたいなものを描きたかったのだろう。

それにしたって、高知の田舎から東京の虐待家庭まで一人で行かせてしまうあたり。

虐待してる成人男性に、何も持たない女子高校生が立ち向かい、結果顔面に傷をつけられる、なんてあって良いのか。

「一人で行かせて大丈夫だろうか」「あのこが決めたことだから」

待ってくれや!そのセリフが許される重さじゃないぞ!

数分前までは信頼できる大人たちだったはずなのに、倫理観の低さや無責任さに驚愕した。

最悪もっと大変な怪我をさせられていたかもしれないし、逆上した父親によって恵やトモが更に傷つけられていた可能性だってあるのだ。

 

冷静に、みんな笑顔で「おかえり」などと言ってる場合じゃない。 

 

 

と、やんや言ってしまったけど、

竜の正体を暴こうと多くの人が躍起になっている姿や、正義を振りかざして暴力や暴言を正当化する人たちの連帯や、仮想世界から派生して現実世界にも多くの影響が出ている様子などは、「時代性を取り入れたい」という監督の意思が反映されていたね。

 

伝えたいことは分かったけど、これが監督が本心でやりたいことだったのかは謎でした。