チューニング
久しぶりに文章を書いている。
とめどなく溢れ出す思考を言葉にするのは疲れる。
なぜわたしばかりこんなに考えているのだ、と自分勝手に的外れな不満を募らせたりしてしまう。
本当はもっと真剣な話をしたいのに、楽しく笑っていることの方が求められるのが面倒くさい。
そりゃ楽しいときだってたくさんあるけど、それはわたしの半径数メートル以内の話であって、遠くに目を向ければ向けるほどあぁ世界って...と絶望して、また絶望する。
実際わたしの手が届く範囲のみんなのことだって、何に傷ついて何で喜んでいるのかも完璧には分からないのである。
それなのにわたしは、日本や世界のどこかで起きている出来事に憂いる日々を送っているのだ。
ふわふわと纏まらないまま、こんなのはおかしいどうにかしなきゃ、と一人前のめりになって、みんなが変わらず笑って過ごしている(ように見える)のが嫌になったりする。
いっそ海外に住むか、と考えたりする。
そんなときに大好きな友達と数年ぶりに話す機会があった。
真剣に何時間も話をして、全部分かったと思うし、全部分かってくれた、と思う。
わたしにはこういう時間がもっと必要だ、と思っていいし、こんな話をできる友達をこれまでよりもっと大切にして生きていけばいいんだよな。そうだよな。
別に悩んでいるわけではない。
調整が上手いこといかないときもある、という話だ。
この前も呼吸困難になるくらい笑って、1食で3日分のカロリーを摂取してみたりした。
笑ってるときくらい、解決できない色んな問題を頭の片隅に少しだけ追いやってもいいことにして、自分の中のちょうど良いところを常に触っていられるようにしよう。
結局何事もバランスが大切で、笑いながら真剣に考えていければいいのだろう。そうしたい。
気力はないけど、また書けたら書いていこう。ね。