友達の話ばかりだけどしたいからするね
友達が好きすぎるので友達のことばかり書いてしまう。
わたしは現在北海道に住んでいる。生まれてから、21歳まで東京で過ごしたので、東京の友達の方が圧倒的に多い。
北海道に住んでいる友達は数人と、弟だけだ。
東京に帰れば会いたい、会う、会える友達はわりといる。
だが東京と北海道間を越える友達はなかなかいない。
わたしが北海道へ移住してから、何人もの友達が遊びに来てくれた。みんな本当に大好き。
今回、専門学校時代の友達と犬たちとニセコに行った。
わたしは特に志を持たずに看護専門学校へ進学した。
志がなさすぎて、同級生や教員とは折り合いがつかないことが多かった。
結果、わたしの今でも仲の良い友達は、学校界隈から離脱した人ばかりである。
美容整形分野に進んだ人、料理人になった人、専門学校自体をやめた人。
同じ看護学校で出会ったのに、こうして集う友達には看護師として働く人はほとんどいない。不思議ではあるが、納得のいく結果だ。
それほどに専門学校の宗教じみた教育は、わたしたちの意欲や、将来に対する希望を虐げてきた。
ちなみにわたしは、編入した大学で「志を持てなかった看護学生の将来」を研究した。志がなくても皆、自分の道を見つけて自由に生きているので安心してほしい。
わたしたちはなんだってできるのだ。
そんな友達といるとき、会話が多すぎて話した内容を記憶できない。
その場で聞いた話を、話題作りや、誰かを陥れるために利用しないのが良い。思いっきり話して、思いっきり笑って、泣いたりもするし、わたしは結構怒っちゃうけど、それも全部あり。なんでも来いだ。
友達のひとりは、自分の話をしながら悲しくなって泣いた。わたしはもらい泣きをした。
わたしはもらいやすいタイプの人間だ。げろも確実にもらってしまう。
泣いた友達は、数分後には「紅の豚」エンディングテーマ「時には昔の話を」を体を揺らして幸せそうに歌っていた。
この日、3回以上同じ曲を聴かされた。わたしたちの爆笑の裏で流すには良い曲すぎて笑ってしまう。
友達が帰った後、歌詞を見直して「やっぱり良い曲過ぎるな」と思った。
朝起きると空になった4本のワインボトルと、ビールの空き瓶たちが転がっていた。
最高に楽しい夜だったね。
次の日はわたしの家でみんなで餃子を作って食べた。
数年後、今回の旅の思い出の割合は、ほぼこの曲が占めているだろう。
犬たちは微妙な距離感を保ちつつ、それでも確実に歩み寄っていた。歩幅は小さいけど。
次会ったらみんなもっと仲良くできる?できなくてもいいよ。
それぞれ好きにやってよ、自由にさ。
うちらも自由に楽しくやるね。
友達と犬への愛を深めたので今日は健やかに眠ります。