10年後には何を思っているかな、とりあえず今を書いてみるよ

わたしの数少ない友達について書こう。

 

彼女とは中学生の時に出会った。

わたしは中学時代にあまり良い思い出がない。

嫌な思いをたくさんしたし、させたからだ。当時の自分の思慮の欠如には目も当てられない。

彼女に対して特に嫌な記憶はない。同じクラスだったらしいがそれすらも記憶に薄い。

わたしの中学時代の記憶は9割型死んでいる。

 

高校生になって周りに流されて予備校に行き始めた。そこで再会したはずだ、この記憶が死んでなければ。

再会して何やかんやして、わたしたちは清水公園の馬鹿でかいアスレチックに行った。真冬に。なぜだろう。とにかく本気で遊んだのだ二人で。

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冬の水場は寒いよね

 

覚えている記憶の経緯は全て不明だ。謎すぎるからだ。

わたしがのび太くんの格好でランドセルを背負って、家に遊びに行ったこともあった。なぜだろう。

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のび太くんだ

 

彼女が大学を卒業した時は、福岡でくるりのライブを見た。とても良いライブだった。

そしてハリーポッターのローブやダイソーのアイテムを使って、アカデミックガウンや卒業証書を作った。その格好で町を歩き、どこかの福岡の海で卒業式をした。

帰りに、カフェと勘違いして辿り着いたモデルルームで「福岡の大学に通っている」などと、しょうもない嘘をつきながら家の案内をしてもらった。なぜだろう。

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卒業おめでとう

 

わたしが北海道に引っ越してからは、毎月のように遊びに来てくれる。

冗談じゃなく毎月のこともあった。

わたしも彼女も、広くて綺麗な北海道が大好きだ。

とにかく車で走り続けて、ダムや湖や海を見て、地の果てを目指した。走り続ければ本当に果てに行き着くのだ。何百キロどころじゃなくとんでもない距離を走った。

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もう何も言うことはないね


行く場所によっては人を選ばなくてはいけないことがある。もちろん人によって行く場所を選ぶこともある。当然のことだ。

それぞれに楽しめるものが違うし、楽しみ方が違う。

けれど彼女は、何もない場所でも、何もないことを素敵だなと思える人だ。

わたしたちは遊ぶときは全力で遊ぶ。それでも常にワイワイ騒ぐように楽しむわけではない。

「景色の奥行きがありすぎて天国みたい」とか「夏のダムも良いけど雪の積もったダムも異様で圧倒的だね」とかをしみじみと話し合ったりしている。

あとは音楽の話を5時間くらいしている。わたしたちは、くるりというバンドを心底愛している。

 

彼女といると、「楽しむ」というのは「味わう」ということなんだろうと思う。

何でも味わえる彼女の感受性や表現力は唯一無二だ。

 

彼女は自己肯定感がとても低い。自分に自信がないと昔から言っている。

もっと自信持ちなよ、と言う人がいるかもしれない。

自信があってもなくても彼女は彼女だし、わたしが彼女のことを好きな気持ちは変わらない。 

彼女のどこが、というより、彼女という人間が好きなのだろう。感じていること、考えていること、表現するもの、表現しなかったもの全てだ。

同時に好きでいよう、とも思っている。

それはきっと全面的な肯定になるからだ。人が生きていくことに誰かの肯定は必要ない。それでもわたしは肯定し続けることをひっそりと決めている。

 

歳を重ねていくと、少しずつ世の中の理不尽さを知るようになる。ありとあらゆる様々な差別、世界で起こっていること、この日本という国。

わたしは顔も名前も知らない誰かを思って、悲しんだり怒ったりできる人でありたいと思う。そういう強さを大切にしたい。

彼女はそれを分かってくれる人だ。

真剣でいることを「ださい」と言って、笑って蹴飛ばす人が多いけれど、彼女はいつも誠実に向き合ってくれる。「ふざけんな」と言って肩を組んで、一緒に中指を突き立ててくれる。

どんな悲しいことも悔しいことも彼女には話したいし、彼女のそういう話を聞いていたい。

 

これからもずっと、たくさん真剣な話をして、たくさんくだらないことをする。好きな音楽を聞きながら。

そうやってわたしたちは死ぬまで一緒に歳をとっていきたいと思う。

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わたしたちはなんだってできる

今週のお題「やる気が出ない」