雨の日は映画を観よう晴れててもいいね

ここ1週間で観に行った映画。

 

「くれなずめ」

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赤フンは無理だけど一緒に踊ろうよ

俳優が皆良かった。ウルフルズすげえ良かった。

藤原季節は、同性愛者を演じた映画のインタビューが、もうべらぼうに良かったのを思い出す。マジョリティの視点を持っているからこその発想や言葉が存在してて、それが普遍であるべき現実すらを歪めてしまう、みたいなことを言っていた。純粋にこの人の作品観続けたいって思った。

この映画自体は「浅い」とか「破茶滅茶だ」という評価が多いけれど、別にそれでもいいじゃん、と思う。死に関する映画に、必ずしも奥深さを求める必要はないと思うから。

わたしも友達が何かの病気で亡くなってしまったら「そんな臓器なんて要らねえよ、なくたって生きていけるんだぜ」って言って、体の中から取り出して余裕顔で捨てちゃいたい。それから「だから死ななくても良かったじゃん」って言ってすごい泣く。

 

 

ブータン山の教室」

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キラキラだね

世界一幸福な国は、全ての子どもたちに平等に教育を与えたい。そうだよね、教育って本当に全ての基盤だよね。教育こそ平和の足掛かりだよ。

ブータンで強く根付いている仏教では「足るを知ることが豊かである」って言われてて、村の人たちの生活は、都会で暮らす人たちにとっては不便だけど、確かに豊かさがある。「豊か」って「不足せず十分」っていう意味だから、足りてても豊かじゃない人も、足りてないけど豊かな人もいる。

わたしたちは「持ってる」「持ってない」で生活を構築しているので、不足することに敏感だね。じゃあ今以上に持つためには?って考える。「足るを知る」はすごい難しいけれど、知った自分でこの人生歩いてみたいと思ったりする。

 

 

「ファーザー」

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ここにいるよ

演技がすごいことはもうみんな知ってるから良くて。いや本当にすごかったよ。

わたしはアンソニーの世界を泣きながら彷徨った。

怖くてたまらないけど、確かに信じられるものもあるはずで。でも信じていたものたちは、どんどん手からすり抜けて散り散りになっていく。ちゃんとしたいのに、もう集められないよ。どうしたらいい?

こんなに寂しくてこんなに怖いのに、すがれるものも見当たらない。あるのは安心できるあの頃のあの人の記憶。物凄く会いたいよ。

ねえ誰かそばにいて、わたしを安心させてよ。

泣き顔でアンソニーになってしまったわたしはまだ25歳でした。いつか見返す大切な作品です。

 

 

SNS少女たちの10日間」

 

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お疲れさま

観る前から「男キモすぎるから気をつけて」と各方面で言われていましたね。

でも別に想像を絶する程じゃない。

わたしのパートナーは「衝撃的だった、信じられない」と言っていたけど、女の子からすればわりと普通に遭遇することだ。あまりにもありふれてるから、その現実に慣れている部分は少なからずある。

これ加害者側は悪いことしてる自覚はあっても、そんな重大なこととして捉えてないよね。なんか薄っぺらい感覚。搾取しやすい存在としての、SNSを介した、女性であり、子どもであり。もちろん男性だって被害を受ける、割合的には少ないけど。

こういう奴らの何がクソって、被害者側の非を指摘したりするじゃん。しゃらくせ〜〜〜〜。

殺された人、盗まれた人、騙された人、虐められた人。「あなたたちのここが良くなかったですね、もっとこうしたら良いですよ」って言うんですか?それも加害なんすけど?何様ですか?

わたしは子どもいないけど、子どもの安全保障したいし、教育受けて欲しい。親だけが背負うものデカすぎる社会は滅びますね。

 

 

今週のお題「雨の日の過ごし方」